- 2008-03-21 (金) 14:44
- つたさわ情報
午前中は雨、午後はショボショボ、夕方は曇りとなり、
夫と一緒に先祖の墓参りをした「
お墓に先祖の魂があるようなことはないとは思うが、
墓参りをすると清々しい気分になれる。
私は、自分でこうしよう、ああしようと決めたつもりでも
なかなか決めたとおりに行かない。
というより、生来の持つ怠け癖の心がその向上心に
いとも簡単に打ち勝ってしまうのである。
そのため、誰かにいつも見られている必要性がある。
見られていると、
ちょっとエエ格好しいの気持ちが怠け癖の心に少しだけ勝り、
気持ちを引き締めて生活も引き締めてくれる。
度々思うのであるが、「よう仕事があったもんだ。」と・・・・。
もし、仕事がなかったら・・・
生活はきっと延々とダラダラしたものになっていたことであろうと
軽く想像できる。
今からコレをしたらエエこと分かっとうけどまあ今せんでもエエし・・・
と先延ばしにし、ついついエエかげんなことに陥ったかもしれない。
仕事があるから、その時間までにこのことをしないといけない、
何日までに仕上げなければ・・・と私を追い立ててくれる。
なんとありがたいことか。
仕事は、社会生活のみならず、個人の私生活をも一定の時間で
私を統制してくれるのである。
私生活を統制してくれるのは時間であるが、
心の統制をしてくれるのは、やはり「人」であろうか?
人は私と会話をしてくれる。
人間おしゃべりは必要だ。
もし、1週間も喋らないでいたらおかしくなりそうだ。
いや1週間どころか3日でも、1日でも変になるかもしれない。
生きている人ももちろんであるが、
亡くなったご先祖様も私を見ていてくださるのであろうと思う。
私の勝手であろうがご先祖様も話しかけて下さったように感じた。
それを確かめるための象徴としてお墓が必要なのかもしれない。
そうでなければ、お墓に参って心が清々しいはずがない。
やっぱり辛気くさいと思ったけれどお墓参りもいいものである。
